働くことと出費

 

働くのはお金が欲しいからなのに、働くためにはお金がかかります。

 

ああ、何と不条理であることか。

面接に行くにもスーツやカバンといった身なりを整えるために費用が掛かりますし、勿論交通費も掛かることと思います。私は学生時代使った就活用のものがあり、それを再度利用しましたが体形の変化に見合わないスーツを無理やり着ていました。ボタンが取れかかったままの代物です。またカバンもその時のものですが、取っ手がとれたものを自分で縫い合わせました。買い替えるだけのお金がなかったからです。革を手縫いするのは骨が折れました。

そして今日はこれから仕事場で必要になるものを買いに行きました。たくさんお金が無くなりました。お財布がさみしいくなってしまって心もさみしいです。

お金を使ってる間は一時的に気分が高揚するのですが、後になってたくさんお金を使ってしまったことへの後悔が沸き起こります。貧乏性、ああ哀しき心の性よ。お金の残金を気にせず買い物をしたり、後悔に苛まれないためには、たくさん働いてたくさん稼ぐしかないのか。お金、降ってこないかな。

 

 月曜日から働くのですが、もうニート期間の終焉が間近に迫り、不安と名残惜しさが胸をよぎります。いや、働かねば。無職は楽をしているように見えるかもしれませんが、社会との繋がりを隔絶された中での精神的負担はかなりきついものです。自分が何者にもなれず孤独であること、その事実に慄きながら過ごす辛さは経験しないと計り知れないものであると思います。なので働きます。社会との関わり、貢献できているという実感を持てることは喜ばしいことなのであろうと思います。