皮膚の下の孤独

 

「死にたい」

そうつぶやく。誰にも聞かれない程度の声で独り言つ。この感情は誰かに届けたいわけでも、受け取る他者を想定して言葉にしてるわけではなく、ただ何となく、ぼんやりとその言葉が心に立ち上ってきたものを息を吐くように発してみただけなのである。そして、その言葉が自分の耳に届く頃にはこの言葉が口をついて出たことにはっとしつつも再三聞いた言葉に倦厭してしまう。近頃は辛いの代わりに死にたいを言っているようだ。カジュアルな死にたさ、カジュアルなメンタルヘルス。ほんとに死にたいと思っているわけでもなければ、その勇気も持てない。今の生活に満足してるわけでも、その生活を投げ出したいわけでもない。ただ何となく孤独で、哀しくなるのだ。自分の生を客観的にみるとそれほど不幸とは言えず、只々平凡なのである。

しかしながら、この満たされぬ中途半端な幸福が、漠々たる不安感を私の皮膚の裏側に蔓延らせているようである。この不安感を拭い取るために、この皮膚を切り裂いて取り出してしまおうかと試みたが出てくるのはただの血液であったが、それでも心は少し軽くなった。次第にこの行為を繰り返し始める。不安感を除去しなければならない。その一心で何度もその行為を行う。しかし、流れ出るのはやはり血液でしかなく、不安の塊という得体のしれないものが実体となって出てくるはずなどなかったのである。

皮膚を切り裂くことに価値を見いだせなくなり今度は蔓延る不安をなぞり、それを慰めることにした。誰でもよかった、この皮膚の恐怖を鎮めてくれるなら、ほんの一時でも、ほんの一瞬でも。他人に皮膚を撫でてもらうことで、不安から一時的に逃れることに成功した。しかし、それは、長く続くはずなどない。他人は四六時中私を慰めてくれるはずはない。他人は私とは異なる人間なのだ。仮に私と同じ不安を持っていて理解を示してくれても、それを共有しつくすことは出来ない。他人が本当に自分を理解しているかなど図る術などもちえないからだ。

こうして、満たされることのない不安はありありと私の内面に犇めいてる。しかし、他人にそれを感じ取ることはできない。できるのは一時の安寧を提供してくれることだけ。自分の皮膚を自らの手でなぞる。すこし、皮膚の裏の孤独が和らいだ気がした。自分の孤独を癒せるのは自分自身しかいないのかもしれない。私のことを理解出来るのは私自身だ。闇雲に他人から理解者を探し当てるより、簡単で単純な答えだ。

ゆっくりと皮膚に指を滑らせる。自分の中の孤独を飼い馴らす。少しだけ、それだけ。