電子の海に漂う

眠。

 

夜、布団に身を横たえその日あったことを振り返りながら物思いにふけったり自己反省を少々して目を瞑る。……眠れない。脳はもう寝ろという信号を出しているが、身体がそれを拒否している。眠れ眠れと脳が焦れば焦るほど身体の覚醒状態は進み一向に眠らしてはくれない。しょうがないので布団に寝っころがってスマートフォンを片手にTwitterを眺めて見る。眠る前に電子の光を浴びるのはよくないことと知りつつそれを眺めその光を浴びてしまう。本を読むという選択肢もあるのであろうがそれをすると逆に脳が活性化し眠るという行為からより離れてしまうのを経験から知っているからあえてしないのである。一人の部屋でも電子の世界を覗き込めば誰かしらの声が表示される。誰かしらの生活を垣間見ることができる。誰かしらの息吹を感じ取ることができる。そこに一抹の安心を覚える。高度に発達した技術によって人は簡単に他者とつながりをもち一人でいるという時間がどんどん減らしていくことに成功している。現実の世界では一人でも、電子の世界を通してみればそこには多くの他者が存在しその顔も知らない他者とコミュニケイトする。簡単だ。僕らは一人ではない。そうささやきかける他者か画面の向こうにいる。素晴らしいことなのだろう。孤独を紛らわすツール。人はどんどん孤独になるのを恐れ孤独な時間の使い方を忘れていくのだろうな。誰かと瞬時につながりかをも知らない誰かと話せるのであるから。

自身の孤独と向き合うことは自分を見つめること、自分を高める場なのだろう。孤独を簡単に手放し電子画面に張り付いているだけでは何も生まない。それは理解しているが孤独と向き合うのはやはり骨が折れる作業でありるため、電子画面を通して他者とつながるほうがはるかに簡単でありそれに依存してしまう。ああ哀しき技術の発達よ。それによりどんどん孤独な自分の時間が吸い上げられてしまっているではないか! そんなことを考えながらスマートホンの画面を叩き割りたくなる衝動を必死に抑えながら毎日なんとか眠りにつこうとしている。このブログを書く行為も誰かの目に留まった時点で孤独を紛らわすためであるという誹りから逃れることはできない。そんな矛盾を孕みながらブログを綴る。多分これからも。