選択と責任

 

今日はお洗濯をして、お部屋を掃除して、映画を見ました。

こうやって文章にすると充実した休日感が出ますね。

 

 

でも何故か満たされないような言い知れぬ物悲しさがあります。

昨日の日記では何もない平穏な日は贅沢だと言っていたのに、その贅沢にもう飽き始めてる。

贅沢な悩みです。

ああ、贅沢すぎて奇行に走りたくなる。

 

何も予定がないと、何をしても良いはずなのに、何をしたら良いか分からなくなります。

そうして何もできず無為に時間を潰してしまう。

計画的に時間を使うのが苦手だというのもありますが、本当に何をして良いのかわからないのです。

選択をするのが苦手です。そしてその選択が正しいのか不安なのです。

極端な例を言えば、喫茶店などで自分の食べるメニューでさえ決めれないくなることもあります。

些細な選択なのに、大きな選択を迫られているような錯覚に恐怖することもしばしばあります。

 

選択するのが苦手なのは、その選択した先の未来を引き受ける覚悟が欠如しているから。

自分の人生のはずなのにどこか他人事のように感じることもあります。

 

選択が正しいか不安なのは、他者に非難されることを恐れるから。

常に正しいことを他者からの承認によって確かめようとしてまうことがあります。

 

自己肯定感や自尊心が低いとよくあってこういうところに弊害が表れているのだと思っています。

選択は難しい。その場で正解が分かるのはクイズぐらいで、人生は答えのない選択ゲームだから辛い。

でも今の自分があるのは、過去の自分の選択の結果なのだと思います。

他者の視線に怯えながら、承認を欲しがりながら、選んできた道。

過去の選択が良かったかなんて全然わからない。

しかし、過去の選択の結果を受け入れ、未来の選択の責任を引き受けていくことが生きるために大切なことなのだろうと思います。

 

 

 

 せめて、食事くらいは簡単に決めれるようになりたいです。

小さな選択からやって少しずつ、自己肯定感を積み上げていきたい。