巣食う不信感

疲れからなのか、お薬を減らしたからなのか、あまり体調が優れず、気分が頗る悪いです。こういった時に限って昔のトラウマを思い出してしまう。自分で自分の傷を抉って何が楽しいのか。本当に性悪な性格してる。

母親に捨てられた記憶が思いの外、私の思考に影響しているということに気が付きました。母は妹を連れて出て行ったのですが何故私も連れて行ってはくれなかったのか答えのない問いを繰り返している。嫌いだったのかな。性格のせいなのか、容姿のせいなのか。ただ何と無く妹だけを連れて行ったのでしょうか。わかりませんが、捨てられたという思いだけは色濃く鮮明に残っていて、理由の如何で簡単に消えるものではないです。

そのことがあり、他人に対して信頼が低いです。他人は平気で嘘をついて自らのエゴで人を利用するものであると思っています。そして、どんなに距離を詰めて仲良くなっても結局は見捨てられるとも思っています。友人はいましたが、親しくなったのちに縁を切られたり裏切られたりはよくあります。人の絆など脆いものという気持ちしか持てません。恋人関係でも同じでしょう。要らなくなったらサヨナラ。終わりまでの暇つぶしのようなもの。

気分が悪いだけでこんなに思い詰めるのは本当に良くないです。今交友関係にある方とはなるべく長く親しくしたいと思っていますし、トラブルは今のところなく順調です。しかし気持ちの波が激しく低調な時は底へと引き摺られて抗えないのが辛いところです。泣けるなら後でスッキリするのでまだ良いのですが泣けないしただ漠然とした絶望と空虚さを淡々と綴って、吐き出しているだけです。

本日行ったことで主立ったことは、選択ぐらいで殆ど寝て過ごしています。動くと筋肉痛なので辛いのです。嫌なことを考えたくないから、眠っていた方が楽に過ごせる。のちに頭痛が来ようともただ眠り続けていました。

0522

土日休なので今週最後のお仕事。

今日は炎天下の中での作業が続き、連勤の蓄積された疲労感で疲れ切った身体にとどめを刺すが如く照りつける太陽が降り注ぎます。辛い…。

太陽光浴びてセロトニンの生成を促進するからいいじゃん、と思うかもしれませんがこの太陽光線の強さから察するに一日の生成量十分に達しているであろう。それどころか、セロトニンどころか皮膚下でメラニン大量に生成されてるのではないかと危惧するレベルです。これでもまだ5月、末恐ろしきかな太陽光。

感情のコントロールが苦手なのを実感しました。他人がブレーキを踏むところで自分からアクセルを踏みに行ってしまうのは本当に良くない部分ですね。短絡的で無鉄砲、自己制御に欠ける。未熟だし馬鹿だなあ。感情的にならず一歩引いて冷静になり、戦略的な大人になりたい。柔よく剛を制す、肝に銘じたい言葉です。

0521

職場で注意されることばかりで辛いです。

慣れてきていることもあって、期待されているのでしょうけど、その期待感から言わなくてもこれくらい出来るよねという押し付けになり、出来ないと責められるのです。また、上からの指示がらあっても現場の状況次第ですぐにはやれないこともあるのですが、それをわかってもらえないのでそのこともフラストレーションの一因になっています。

辛い辞めたいという気持ちもふつふつと湧き上がりつつあります。

注意を受けることも辛いのですが、それ以上に、先日の上司が知的障碍と精神障碍に対する態度の差を露呈した出来事にいて、自分の中で折り合いをつけれていません。はっきりと言ってしまえば、許せないのです。そのモヤモヤした嫌悪感が上司に対する不信感として仕事や自分の態度に現れてしまい、職務怠慢と受け取られているのかもしれないです。

割り切る、とか受け流す、とかいう世間一般的な処世術が上手く出来ません。こういった所がまだまだ未熟なのでしょうね。

世の中不条理だらけなので些細な出来事に躓いていたら何も出来ないとのは理解していますが、小さな棘が刺さった皮膚からなかなか抜けないように、一つの不条理にずっと悩まされ続けその状況を脱することが出来ない。たとえ、小さな棘が寄せ集まって大きな棘になって心を蝕みはじめることが明白であろうとも。棘を抜かなければならない。まだ小さな棘であるうちに。不条理から身を躱し、痛みから逃げ出せる術を身につけなければならない。

右から左へ受け流す某氏のように、私はなりたい。

0520

午前中に心療内科に行って、午後からお仕事でした。

お薬減りました。リフレックスの眠気と食欲増進が強すぎて辛いというお話をすると、じゃあ止めてみましょうとのことでした。以前、勝手に断薬した時に目眩や頭痛に酷く悩まされ、めまい外来にいったり頭痛薬を常備したり目薬を使用したり、色々と迷走しました。お恥ずかしい。またそのような症状が出ないか不安です。今回は主治医の指示のもとなので何かあれば相談れば良いのでしょうね。

それから、仕事帰りにsyrup16gの新譜購入し、チケット発券を漸く済ませました。 新譜、初めて聞いたときは新鮮さに少し戸惑いました(お、あーえー??)。全体として明るい曲調に彩られ技巧に走って変化を取り入れているように見えます。しかし、諦念を抱きながら許容していくような歌詞が一貫していてやはりsyrup16gらしいなあと思います。To be honerが好みです。 チケットを手にして、憧れのバンドのライブが直ぐそこに迫ってきていることを実感しています。楽しみです。

0519

 

今日も1日お仕事。仕事の関係上、障碍に関する話題がよくでます。そのなかで、気になったことがありました。

 

職場の方々の知的障碍に対する態度と精神障碍に対する態度の差が余りにも酷いということです。

知的障碍に関しては、誰が悪いという訳ではなく、生得的であるので仕方がないので、差別や偏見が未だに存在していることに憤慨してそれは問題であるという強い認識を熱弁する。

しかし、精神障碍のことになると、あれだけ知的障碍への差別や偏見に憤りを見せていたにも関わらず、精神障碍を笑いのネタにしたり、精神障碍は勘弁して欲しいと発言したり、とても差別的な発言を憚らずしているのです。

この二つの障碍に対するあまりにも対照的な態度を見て、私は頭の中ですごく混乱してしまいました。差別はよくないと言いながら自分達の行う差別に対しては無頓着かつ無意識なのです。ダブルスタンダードですね。精神的な病をを患う身としては他人事とは思えず、また違和感が拭いきれず、心に棘が刺さったようで辛かったです。

 

普通に生きている人たちは自分たちの言動の整合性についてあまり深く考えていないのだと実感する出来事でした。こういった出来事に対しても、そういうものだと割り切るって上手く受け流せるようにならなければいけないのだと思います。

 

 

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ベースの練習を少しずつ継続していこうかな、と思います。今日は以前に弾いていた曲をやりました。昔大ファンだったGO!GO!7188の「青い亀裂」を。


GO!GO!7188 青い亀裂 - YouTube

もう解散してしまいましたが、とてもかっこいいバンド。久しぶりにベースを弾いて指がいたいです。いつまで続くか、また見せる機会があるのかわかりませんがまた弾き続けたいと思います。

狂ったままの調律

昨日、落ち込んだまま眠れずに結局、4時過ぎまで起きていた。何をするでもなくただぼーっとしていた。本当は泣けたら感情を発散することができ、落ち着いたのかもしれないが、心がギリギリと軋んではいるがその痛みを涙に変換できずただ何も出来ないまま時間だけが空虚に流れていた。

気分転換に昔やっていたベースを取り出して弾いてみることにした。日の目をみることもなく、もはやインテリアと化したそれを抱える。弦の錆、指板の汚れが目立ち、放置され狂ったままの調律。耳で聞きながら調律を合わせて記憶を手繰り寄せて昔弾いた曲を奏でてみる。曖昧な旋律、覚束ない指運。記憶は朧げで思い出すことも出来ないくらいだったし、以前は弾けていたフレーズのはずなのに指が全く動かない。随分長いこと音楽から、楽器から離れてしまっていたから無理もない。嫌になって自分から離れた。今更悔いても仕方がない。音楽自体聞けない時期もあった。それをなんとか乗り越えようとして、最近ようやくまた音楽に興味を持てるようになってきた。それでも昔弾いた曲、思い出のある曲を聴くたびあの頃の記憶が鮮明に呼び起こされるから困る。その過去に対して後悔をしてみても、私がそこに戻れるわけでもなく、帰る場所がそこにあるわけでもなく、ただ取り零した可能性に縋っているだけ。狂った調律で不協和音を奏でるそのベースのような歪んだ幻想。ずれた音で不調和に空回り、時間を空疎に消費する。落とした可能性は未来ではない。不協和音を正した時、ようやく現在を認識し未来を見据えることができる。正しい調律のベースを抱え、認識の歪みも正す時だ。

ありきたりな逡巡

 

休日はいつもながらだらけて寝ている。

とりあえずは朝起き上がり、洗濯機を回し外に干してから、またお布団に戻って寝ました。そして、昼過ぎに起きて布団を取り込んで、またお布団に戻ってごろごろしてうたた寝。お布団大好き人間です!無限に寝れる幸福!

そして、夕方起きて本日初めての食事をしました。余っていた食パンでフレンチトースト。

作ってから昔食べたフレンチトーストが濃厚かつ甘すぎてトラウマであったことを思い出しました。恐る恐る口に運びましたが今回は美味しかったです。砂糖とバターをケチって減らしたからでしょうか。しかし、6枚切りのパン1枚なのに満腹感があって少々重く感じました。おそらく昔食べたものは、パンの量自体が多く尚且つトッピングにアイスや蜂蜜などの甘味をこれでもか!と乗っけていたものだった気がするので、甘さにやられたのでしょう。

夕方にフレンチトーストを食べましたが、夕飯もしっかり食べました。だから、太るのです……。食欲の制御したい。

 

 

夜からは、少し嫌なものをみて、人にあたってしまいました。その行為に反省しながらも、その人に自分の昔の姿を投影してしまい二重に辛く、凹んでいます。やはり過去を許容できてないが故に、自分の未熟さが出てしまったのだと思います。本当に駄目ですね。自分に向き合うなんて、難しい。人に言うのは簡単ですが、やはり自身のこととなると大変な労力と時間を費やすものなのです。

逃げ出した過去、見ない振りした過去は、現在の私の目の前に仁王立ちして道を塞いでいる。これを通り抜けるには向き合うしかないのに、それは大きな苦痛であり恐怖で、袋小路を逃げ惑っているような感覚。いつまた目の前に現れるか、びくびくしながら震えてる。過去に今だ囚われているのだと実感しました。対策が見当たらない。きっと忘れようとしても忘れられない、忘れることができたとしても過去を知る他者の存在や何かのきっかけでまた思い出してしまう。八方塞がり。逃れられない袋小路の中を堂々巡り。

相変わらず、こんな調子です。なにも変わってはいない、ありきたりな逡巡。